今回の展示で気づいた事・・・それは、物語は、新たな物語を生むということ。この屏風が語る物語を見て、そしてそこに自分自身の物語を見て、その物語をお話してくださったり・・・
その物語は、描いた本人でも、「そうだったのだ」というような気づきが得られるような内容であったように感じられました。
感極まって涙を流す方。様々な人生での場面が思い浮かばれて、色々とお話をしてくださる方。
詳細をじっくりと見て、2時間以上滞在する方。表と裏を見たり、順番を変えてまたそれぞれの面を楽しんでじっくりと見てくださる方。
どの場面に心が惹かれるか、というのも多種多様で、その方のお話を聞くということ、それ自体が、まるでその人の人生の一部を垣間見るようで、とても特別な体験だったかのように思います。
「これで良かったのだ、苦難の場面でも、大いなるものに、仏様に見守られているのだ」と、思わず肩の力が抜けて涙を流される方がいらっしゃいました。ご自分でも驚いたようで、描き手としても、そのように心に響く絵を描くことができたのだ、というとても心に響いた経験でした。
その瞬間、「もう僕の絵ではなくなった。自分は作るべきものを描いて、作っただけだ。もう今絵は僕の手から独立して立ち、もう一つの”存在”として、絵としてやるべき事をしているんだ。」とコールが話をしていました。
作家の元から離れていく時。まるで絵が意思を持っているかのように、輝き出すとき。
観る人に寄り添うものになり、その人を包み込み、心の鏡を映し出す存在になるとき。
そんな時に、画家の手を離れ、画家の意思を超えた物語が紡がれていくのだろうと思うのです。そのようにして、作品達も、私達の手元を離れて新しい家へと旅立っていきました。
特に屏風の四面は、コールも「頭で考えるより、描くべきモチーフのイメージがどんどん湧いてきた。まるで”描かされている”ようだった。だから意味も、観る人を経てその意味が語られる事がある。この絵の意味を限定してはいけないんだ。」と話していた事がとても印象的でした。
どのようなストーリーを紡いでくれるのか。それは作品や屏風と出会うその間で生まれてくるのだろうと思うのです。まだ見ぬ物語がどのような世界を見せてくれるのか。今から楽しみでなりません。